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仕事の付加価値は“人”がつくる。大橋運輸が「ダイバーシティ経営」を始めるまでに積み重ねた改革の歩み Vol.1【大橋運輸株式会社】

2022.9.12 (月) updated

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  • # 企業事例
  • こんにちは、大橋運輸です。

    当社では「ダイバーシティの普及」「健康経営の実践」「地域貢献活動」の3つを大きな柱に掲げ、長年力を入れています。

    いち中小企業である大橋運輸が、なぜこの3つを大切にしてきたのか。ご質問をいただく機会があります。
    そこには、現社長の鍋嶋洋行が代表就任以来、真正面でぶつかってきた試行錯誤の険しい道のりがありました。今回は鍋嶋に、会社の歴史について綴ってもらいます。

  • 誰かが立ち上がらないと、倒産はすぐ先だった

    初めまして。大橋運輸代表取締役社長の鍋嶋洋行です。

    大橋運輸の創業は1954年。愛知県瀬戸市を拠点に、陶器輸送から始まった企業です。
    私が社員として1998年4月に入社する前は、地元の信用金庫で得意先として営業を担当していました。
    大橋運輸は、当時の社長の父が創業者。その息子や孫が役員を務める、同族企業でした。
    私は職員時代に縁があり、社長の娘と結婚したことから物語は始まります。

    結婚前は、結婚後も信用金庫で働くことを伝えていました。しかし、結婚から2年後、妻から大橋運輸の決算書を見せてもらったときに、6期連続赤字で経営が債務超過状態であることを知りました。内情は決算書を見る以上に酷く、「金融業界で働いてきた私が会社を立て直さなければ」と決意し、30歳で信用金庫を退職したのです。


    社員として大橋運輸に入社後、当時の社長である義父は闘病中だったため、できることは限られていました。そこで、個人で財務改善や業務改善に取り組み、多くの改善提案を役員である叔父たちに提案。しかし、「現状を変える必要ない」と改善提案は承諾されず、一人でできる改善を繰り返す日々でした。そして、経営が悪化していることに気づいていない役員と管理職の影響は、社員にも伝わり、会社全体として危機感がない状況だったのです。

    入社して6カ月、このままでは会社がつぶれると判断し、義父に「社長を交代してください」と、直談判しました。しかし、入社間もない娘婿を社長にするのは「周囲が承諾しない」という理由で、最初は叔父と同じ常務を提案されました。しかし、「このままでは会社がなくなる」と義母にも伝えて再度交渉。義父に委任状を書いてもらい、親族に対して社長交代の説明をしました。1998年4月に入社し、同年11月には代表取締役となったのです。

    もちろん、同族経営が長く続いた企業ですから、叔父を中心に大きな反発がありました。妻が社長の娘とはいえ、入社してすぐ社長の座をとられるのですから、当然の反応と思います。しかし、債務超過の解決策を尋ねても、具体案は出てこない。そこで、「案が出ないのであれば、私が社長をやります」と説得し、30歳という年齢でしたが社長に就任しました。このとき一番ホッとしていたのが、経理の担当者だったのが印象的です。

  • 価格競争よりも品質向上。従来の形から変化を

    ここからが経営立て直しの始まりです。超過債務の解消までに費やした5年は、ただ「社員にとって良い会社にしたい」という一心で働きました。

    朝5時に起きてご飯を食べ、5万円の中古軽自動車に乗りながら、営業や業務改善に日々励み、次の食事は22~23時に食べるといった生活をしていたのです。社長の席はパートさんの隣で壁に貼っている黒板のチョークの粉が飛んでくるような場所でしたし、3月の引越繁忙期は株主総会を行った後に作業の応援に行ったこともありました。

    1番辛かったのは、社内の価値観の違いです。私が肉体作業をしていると「社長お疲れ様です」と評価されますが、仕組み改善や職場環境の改善など思考的な作業を評価できる人がいなかったこと。職場内の価値観を変えることが、最も大変でした。

    あるとき、「給与を上げてほしい」と話す社員。私は「同じ果物でも品質を高められたら、価値は高まる。1籠(かご)500円でなく1箱3000円で売れるようにするため、お客様に良い挨拶をする、安全確認を徹底することで、お客様の信頼獲得につなげていこう」と伝えました。しかし、社員から返ってきたのは「お金をくれたら頑張る」という言葉。自分の無力さに、家でお風呂に入っているとき、自然と涙が出てくるような日々が続きました。

    大橋運輸が債務超過となった大きな要因として、1990年の規制緩和により、運輸業に参入する国内事業者が大幅に増加したことが挙げられます。扱う荷物の総量はそれほど変わらず、価格競争が激しくなったのです。当社も大手運送会社から業務依頼を受け、自社で仕事を探す意識は低い会社でした。また、役員や管理者に原価を理解できる人が少なく、安く仕事を受けることに価値を感じていたのもあります。安い仕事を多く受けても、社員の業務量に対価で還元できず、社員の不満は大きくなりルールも守れない状況でした。

    そこで、より付加価値の高い仕事にシフトする必要性を感じるようになります。まずは「売り上げや事業規模を拡大することが会社の成長だ」という根本の考え方から見直してみました。事業規模を重視してしまうと、どうしても大手企業との取引を優先させる必要が出てきます。ロットが大きいため売り上げは伸びますが、担当者や意思決定者が頻繁に変わることが多く、どれだけ付加価値を出そうとしても、コストが重視されてしまうことが多い。そういった環境では、社員のモチベーションも高まることはありません。


    そこで、事業戦略として「ただ安く運んでくれればいい」という企業様の仕事は断るようにし、長くお付き合いができ、できるだけ会社から近い距離にある企業にしっかりと付加価値を提供する形に変えたのです。ここから徐々に会社は変化していきました。

    ここでいう付加価値とは、お客様に挨拶をするとか、身だしなみをしっかりするとか、梱包する段ボールをできるだけキレイな形で届けるなど、地道なことばかりです。当たり前のように感じる方もいるかもしれませんが、運輸業ではできていないケースも少なくない。そこにしっかりと取り組めば他社との差別化になると考え、社員に伝えていくようにしました。

    すぐに社員の意識を変えるのは難しいため、まず私自らが率先して姿勢を見せようと、会社の掃除を朝にしたり、社員に挨拶をしたりといったことに取り組みました。当時は同族経営の空気が残っていたので、私に同調すると社内で少数派になってしまう。そんな中でも、私のビジョンに共感してくれ、協力してくれる社員が少しずつ増えていくようになりました。朝会社に行くと、すでに掃除が終えられていたときの光景は今でも記憶に残っています。

    一方で、事業方針を変える過程では、社員の入れ替えも多く発生しました。既存社員が改革に耐えるというよりは、事業方針に共感してくれ新たに入社した人財が、社内を変えたのです。「離職率を少なくしよう」と盛んに言われる頃でしたが、「成長離職率」が重要だと当時の経験から学んだ気がします。会社が変化するときは、その状況を楽しもうとする人もいるし、受け入れられず去る人もいます。離職者が出るのは決して悪いことだけでなく、ビジョンの実現に向かう組織を作るうえで必要な過程だったと考えています。

  • すぐそこまで来ていた倒産の危機を乗り越えた大橋運輸。
    新たな事業方針に共感した人材によって会社は更に変化を続けます。
    次回は何がきっかけとなり、現在の大橋運輸を形作っているのかをご紹介します。


    ◆会社概要◆
    名称 : 大橋運輸株式会社
    代表取締役 : 鍋嶋洋行
    所在地 :愛知県瀬戸市西松山町2-260
    事業内容 :
    ・一般貨物自動車運送事業 
    ・ 貨物運送取扱事業
    ・油脂仕入販売 
    ・ 一般廃棄物収集運搬業 /
    ・産業廃棄物収集運搬業 
    ・ 引越サービス 
    ・ 物流情報サービス 
    ・労働者派遣事業 
    ・不動産賃貸業 
    ・ 古物売買
    企業URL :https://www.0084.co.jp/

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